──手びねりをされているのも、目で見て手で感じるということでしょうか。

そう。子どもが粘土で遊んだりするのを見ていると、技術も何もないけれども、その作ったものに力があるんですよね。無邪気にずーっと作っている、そこでできあがったものはすごく生き生きしている。
誰かに褒めてもらおうとか思ってもの作りしても、なっかなか前に踏み出せないし、できあがったものももうひとつなんか面白くないんやね。そういう意味で、子どもの作ってるものを見てすごいなって。
ろくろで綺麗にひいたのももちろん大事やし、それを求めるのもいいけど、僕はいろんなことを想像しながら、世界にひとつしかないようなものを作るのが楽しい。
これなんかもあれ、わっぱついたの、あれが最初なんです。手びねりで、ほら貝のようなものを、自然にこう手で考えたっていうか、あ、こんなん面白いな、これも面白いなって、螺旋の感じにしようとしながら、でも、螺旋でも幾何学的な螺旋でなく、生物のような抑揚のあるねじったゲーム壷にしたんやね。
それで遊んでいるうちに、これを逆さにしてカップにしたら面白いなって思いついたのが螺子カップのはじまり。伸ばして、マグカップにしたり、広げて鉢にしたり、小さくして盃にしたり、今でも際限なく楽しんでる。



──アフリカの文様も参考にされているみたいですが、お好きなんですか。

そのカットパイルは、アフリカのクバ族っていって、いま、コンゴ共和国かな、そこの国の権威の象徴なんです。絨毯みたいに、四方に編んだものを縫って、くくって、いろんな模様を作ったものなんですよね。
あの文様にはある法則がありながら、いろんな形に変化するんです。意味がありながら、不規則に、でも永遠に広がっていく。言葉のようでもあり、遊んでいるようにも思える。これもありだろ、これもありだろっていう。それを見てると、アフリカの人たちって頭の中でいろんなことを想像しながら数学的にやってるんやなって。それで二枚と同じ布がないし、それがすばらしいなって。
僕も全く同じものをふたつ作りたくないんです。ただ使うためだけのものなら、こういうもの作り行為っていうのは何か空しいんじゃないかなと思うんやね。僕ら、心をこめてっていうか、丁寧にひとつひとつ作っているから、たぶん使う人も大事に使ってくれるんじゃないかな。だから手で作ったっていう跡も、わざとじゃないけども、隠さないっていう。




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