白い九谷焼へと刺繡のようなイッチン技法を凝らす苧野直樹さん
白磁に縫い付けられたレースのような装飾
九谷焼には青手や五彩手、赤絵金襴手など
色彩豊かな絵画的装飾を施されたものがある一方で
白磁の九谷焼も焼造されています。
九谷焼の発祥地である石川県加賀市は、古くは江沼郡と呼ばれ
河川や沼池、温泉や水田といった潤いに富んだ自然環境を有します。
そうした江沼の湿地帯を偲ばせる水景のひとつが柴山潟です。
柴山潟からは、雪を頂く霊峰白山を眺望できますが
そこから程近い工房で作陶している苧野直樹さんの焼物もまた
白を基調とした作風が特徴です。
イッチンによる装飾が、白磁に縫い付けられたレースのように
立体的な紋様を浮かび上がらせます。
刺繍のように連なる幾何学模様
白磁の肌へ連綿と施された幾何学文様は
純白の糸で縫われたドレスの刺繍のような気品を漂わせています。
この立体文様は、白い泥漿(でいしょう)を焼造することで生まれます。
泥漿とは、粉末状の粘土に水や釉薬を混ぜたもので、イッチン技法には欠かせない材料です。
図案の輪郭線を盛ることで、文様を浮かび上がらせるイッチンは
佐賀県の古唐津、大分県の小鹿田焼、沖縄県のやちむんにも凝らされる伝統技法です。
中国大陸では明時代に「法花」と呼ばれ、西洋においては「スリップウェア」として浸透しています。
このようにイッチン技法は古くから存在していますが
九谷焼においては開拓の余地を感じさせる意匠です。
例えば、古九谷の花鳥や幾何学文様を、イッチン技法によってリ・デザインする方向性には
伝統的なモチーフを、劇的に生まれ変わらせる可能性を秘めています。
多彩な花紋を咲かせるイッチン技法
イッチン技法を駆使して、多彩なデザインを展開する苧野直樹さんは
これまでに華マンダラ、バラの唐草、福寿草の花菱紋など、遊び心の溢れる文様を編み出してきました。
そうしたアイデアの源泉となっているのが伝統文様です。
陶磁器や着物、仏像などの工芸品に古くから採用されている文様を
部分的に拡大し、切り取り、組み合わせるなどの工夫を凝らし、新たな魅せ方を試行錯誤しています。
時には人の名前から紋様のインスピレーションを受けることもあります。
日本人の苗字は、自然風景を想起させるものが多く
例えば、藤の花を波のように揺らめかせて描いたカップは
藤波さんという方との出会いから生まれた作品です。
つる性の植物である藤は、「不死」の語呂にも重なるうえ、
唐草のように伸びることから「繁栄」の願いも込められるため
二重の祈りを掛け合わせたダブル・ミーニングな文様に仕上がります。
日本に加え、アジアやヨーロッパなどで生まれたありとあらゆる文様を組み合わせることで
無数のデザイン展開が可能となり、そこに込められるメッセージも多重多層なものとなります。