近年、古九谷に関する新たな発見もあり、従来のいわゆる「古九谷伊万里論」一辺倒から徐々にではありますが、その風向きも変化しており、真の意味での古九谷とは何か、これを探る作業がいよいよスタートしたと言えます。
この資料は、加賀市の編集、石川県九谷焼美術館、九谷焼窯跡展示館の監修により平成17年に、「古九谷 その謎を追う」というタイトルでビデオ制作されたものを文字起こしし、本ホームページに掲載しました。
ここでは、古九谷について歴史的、文化的、考古学的、技法的等の幅広い方面から長く古九谷に関わってこられた、地元石川県を始め各界有識者の貴重な意見が収録されています。過去に制作されたものではありますが、「古九谷産地論争」が再び脚光を浴びる中で、再度公開する意義はたいへん大きいと考えます。
なお、歳月が過ぎる中、お亡くなりになられた方、異動等により肩書きが変わられた方、また市町村の合併による地名変更等もありますが、いずれも制作当時の肩書き、地名を使用させていただきましたので、ご容赦をお願いいたします。
力強い呉須(ごす)の線描の上に絵具を厚く盛り上げるような方法で描かれた、大胆なデザイン、深く重厚な色彩は見るものを魅了して止みません。特に赤を使わず描かれた青手古九谷は私たちに強烈な印象を与えます。
九谷古窯が開かれたのは、今からおよそ350年前、1655年江戸時代の明暦元年に、現在の山中町九谷町(現:石川県加賀市山中温泉九谷町)です。昭和40年代に発掘調査が開始されましたが、当初は、素地(きじ)は出てきたものの伝世品と類似の出土片は少なく、その稼働と生産については、謎に包まれていました。
そんな中、石川県から遠く九州は佐賀県有田で古九谷風の色絵陶磁片が出土し、古九谷の産地は有田であるとの説が出始めました。これが、古九谷・伊万里の産地論争と言われるもので、この論争は今も続いています。
第1回 | 嶋崎 丞(石川県立美術館館長) | 「古九谷随想」 |
第2回 | 高田 宏(石川県九谷焼美術館館長) | 「『雪古九谷』と私」 |
第3回 | 北出 不二雄(元金沢美術工芸大学学長) | 「九谷の伝統」 |
第4回 | 徳田 八十吉(重要無形文化財い 人間国宝) | 「九谷の伝統」 |
第5回 | 藤田 邦夫(石川県埋蔵文化センター) | 「九谷A遺跡について」 |
第6回 | 荒川 正明(出光美術館主任学芸員) | 「古九谷とその謎にせまる展を開催して」 |
第7回 | 田嶋 正和(九谷焼窯跡展示館副館長) | 「吉田屋と古九谷再興」 |
第8回 | 二羽 喜昭(『古九谷論争の真実』著者) | 「古九谷は伊万里でない」 |
第9回 | 正和 久佳(小松市立博物館委員) | 「九谷の和絵具および新資料」 |
第10回 | 中矢 進一(石川県九谷焼美術館副館長) | 「鍋島家と加賀前田家姻戚関係」 |