──加賀地方の作り手さんたちの特徴というものがあるので しょうか?

加賀の人にはこだわりがある。明治・大正の頃には大聖寺伊万里があって、大聖寺でも盛んやった。昭和になってからは、こちらは問屋さんのほうはそんなに…。寺井(能美市)のほうの問屋さんはどんどん新しい技術で量産に入って、それに勝てなかった。
ところがもうひとつの視点で言うと、吉田屋からずっと続く、もっと言えば古九谷から続く、伝統的な、手仕事の技を大事に思う気質がもともとある。それは、ある意味で言うたら商売ベタなんです。それがまだずーっと残っている。そこが、ある意味では面白い。こちらの陶芸家って、人のマネをあんまりしないし。自分の持っている技術を、弟子には伝えていくけども。だから、個性的な人が多い。まねしようという発想がちょっとない。自分たちのお師匠さんから習った美意識というものをちゃんと継承していくんだけどね。

──図案を時代ごとに変えるということはありますか?

図案を変えるというよりも分量を変えますね。もうね、ひとつ自分がここっていう分野決めてて。図案のスタンスということで言えば、たとえば僕が今色絵のものをやったり、違う技法やデザインのものをやったりすることもおもしろいんですけど、自分のカラーってあるんですよね。長左っていうので、ファンの人もイメージ持ってるでしょ。逆に言うと、ファンの人を大事にしないといけないよね。歌舞伎役者がたまに2時間ドラマに出てくるけど、やっぱり歌舞伎が原点やったら、歌舞伎役者は歌舞伎、やればいいんじゃないんですかね。もしそういうニーズがなくなれば他のことをすればいいんで、ある以上は、それでやっていったほうが効率もいいですしね。

──長左さん自身、師匠、親方でもあり、教育者としても活躍されている。お弟子さんたちは、3、4年で巣立っていくという。

新しい若い人が来ると、初心に戻れるんですよ。マンネリ化が嫌いでね。いつでも何かドキドキしていたいんです。3、4年経つとだいたい慣れてくるでしょ。慣れた子を出して、自分も新しい子を入れて。常に頼らないんです。一緒に頑張るんだけど、ライバルでもある。それで、彼らが上手になって、どこかでできるようになると嬉しい。
(2010年秋、お弟子さんのひとりがニューヨークでのグループ展に参加した)
みんなもチャンスがあればアメリカなり、ドバイなり、いかれたらいい、ハハハ。

──お弟子さんの描かれた線、これは誰の線かってわかりますか?

わかりますよ。ここは息子の線だとかね。うちは線のエキスパート。それが特色なんです。ファンの人もね、「これ、あの人が描いたんでしょ」とか、「先生、ここしか描いてないでしょ」とかね。
僕らが物を作って伝えなきゃならないのは、技の奥にある生き方なんじゃないのかな。手仕事で一番大事なのは、やっぱりそういうもんじゃないんですかね。というところに思い当たってるんですけど。
かといって、たかが茶碗屋じゃないですか。されど茶碗屋っていう。別に政治家でもないし、偉い先生でもないんですけど、自分の好きなことで、なんかのお役に立とうというね。贅沢な話やね、好きなことでね。














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