ぼくは東京のずっと田舎のほう。東京は28歳くらいのときに出たのね。最初に金沢に。
加賀市とは全然縁がなかった。今の窯場にも、もともと何もなかった。
1980年に準備を始めて、81年に初窯焚いたの。
うーん、そんなにはなかったですね。
金沢にいたときに越前の陶芸村に行って。まだできたばっかりだったからね、陶芸村が。比較的初期の段階で。たまたまうちの師匠(畠山是閑さん)が窯造ってたんで。それが直接のきっかけっていうか。それから、越前のほうに気持ちが…。
九谷もちょっとやってたけども。それは本式のものじゃないから。ほんとに修行したっていうのは、越前。
ちょっとね。下仕事みたいなのを。とりあえずそういう世界に入るので、九谷焼の、絵付け、上絵付け、1年半ほど。屋根裏部屋みたいなところで。
あと、加藤唐九郎さんが造った、越南窯っていうのが陶芸村にあるんだけど、おっきな登り窯、それも焚ける人いなくて、うちの師匠が焚き上げたっていうか。それをきっかけにその窯も同時進行で。
まあ、5年くらい。福島にも先生の窯があって、そこも弟子だけでやってたから、そっちにも行ったり。
薪窯に惹かれたっていうのがあるわね…。相性が、どっちかっていうと合ってるのか…。
《焼締扁壷》 |
単純なんだけど、越前と行ったり来たりしてる間に、8号線を通ると、当時、結構瓦屋さんが道路際に残ってたんだよね。登り窯も見えたし。で、やっぱり土があるのかなぁっていう感じで。加賀市の前の美術館に行ったら、資料も出てて。発掘の。
須恵器の、だいたい7世紀から10世紀くらいの窯跡が、今までトータルで100基以上も発掘されてたんだよね。そのあとの中世の窯もあるけど。
これ、この近くの須恵器。7世紀くらい。これが窯の壁。すごくいい色してて、気に入ってるんだけど。こんな綺麗なグリーンて、なかなかない。
そう、土があるっていうんで、来たんだよね。比較的そういう窯があったわりには、ほとんど誰もやってなかった。越前だともういっぱいやってる人いるし、どうせだったら、土があって、人があんまりやってないとこ。