これまでのイメージを覆す、洗練された赤絵を描く見附正康さん。若くして、今後の九谷焼を背負って立つ一人である。その人柄と相俟って、作品には熱烈なファンが多い。2010年には、中田英寿さんのRevalue Nippon Projectの作家として選ばれ、コラボ作品を発表した。
──中田英寿さんとのプロジェクトはいかがでしたか。
無事に終わりました。30センチくらいの基盤で、セラミック・スピーカーをつくりました。九谷の釉薬をかけて。平らなので描きやすかったです。赤絵の焼成の後に導線がつくので、それをよけながら描かなきゃいけないので大変でした。線と合うようにしなければいけないので。どっちかが勝ってもだめだし。
──今回のプロジェクトに参加されて、何か変わったことはありますか。
すごい勉強になりましたね。(金沢21世紀美術館の)秋元館長さんと、(nendoの)佐藤オオキさんと一緒にするってことで。いままではずっと一人じゃないですか。まさか僕を選んでくださるとは思わなかったんで、すごくびっくりしました。でも、うれしかったですね。
秋元館長さんがデジタルとアナログというテーマで、佐藤さんが(セラミック・スピーカーを)考えてくださったんですよね。佐藤さんもすばらしい方で。発想がやっぱりすごいなって。
赤絵の存在を知らない方も多かったですし、今回ほんとにいろんな人に見てもらえてよかったです。赤絵がこんなに繊細な雰囲気とは思われてなかったみたいで。もっと金ピカのきついイメージをもたれてたみたいで。
きっとこってりとした赤絵が好きな人にしたら僕のは弱いんですけどね。
──九谷焼の道に入ったのは、どういうきっかけだったんですか。
僕は絵を描いたり字を書いたり、習字も好きだったので、父がこういう学校(石川県九谷焼研修所)があるって教えてくれて。高校生のときに見学に行ったら、ずっと美術の時間のような感じで、楽しそうだったので。
──赤絵にはビビッときたんですか。
ふつうに楽しかったんです。細かい絵を描くのが好きだったので。
──福島武山さんに師事されたのは研修所を出られてすぐですか。
そうですね、研修所を出てから、十年間くらいですね。入りたかったので。先生の人柄もそうですし、作品がすばらしく魅力があって。(福島武山さんは研修所の先生でもある)