私が青泉窯にきたのは昭和62年でそれ以前は知らないが、ただ、なんで彩陶にいったかと想像するに、
九谷焼で日展に出すというのは、非常に難しいというか、自分のオリジナリティを出せない事があったんじゃないかなと。
ある人から聞いたんですが、父の自信の作品を、大先生の前に持っていった時に、めっちゃくちゃ言われたらしいです。そういった経験もして、そこから、いわいる九谷焼の技法だけでは自分の作品を作れない、というところから彩陶にいったんじゃないかと思います。
自分が表現したい事を表せるものを探していたんじゃないかなと思うんです。
彩陶で父がやりたがっていたのは、絵の具を多少流して、面白みを出すこと。
あとは、ぼかし。染め付けタッチで色をぼかして、立体的というか、グラデーションというか、そういう色を表現していましたね。
父が一番気に入った色はトルコ青でしたね。
緑とか青の色は出せるけど、トルコ青のような中間色は中々出せなかったようです。
いろんな試験をして、やっと出来た色で、つくるのに本当に苦労したのもあって、本当に好きな色でした。あと、ペルシャが好きだったので、ペルシャの青が好きだったのではないでしょうか。
造形に際しても手際よく創ることを心がけていました。
線の勢いを見せないといけないと言っていましたね。なぞったような綺麗な線は父は好かないんですね。食い違いがあっても線に勢いがあるといいんだって。細かい所でずれていたり、あたりがあるけどなぞらなかったり。全体のバランスから多少ずれて彫っていたりしていました。
線に勢いがあるということは、なかには冷たく感じるという人もいるけど。
あたたかみではなくて、緊張感を感じるんでしょうね。
陶器のほうがやわらかみがあって、そのやわらかみを表現するために表面にマット系の絵の具を使っているんだけど、磁器ではそのマット系の色がでないんです。
製鉄所でもらった鉄で自分の欲しい道具を自作する |
工房で教わるっていうときは緊張の連続でびくびくしていました。仕事一筋という人でした。
外に行くと優しそうな先生ですね、と言われていましたが。
(アトリエ理の)中己出さんに、先生には華があるといわれました。雰囲気として。
わかるようなわからないような(笑)。